美と自然
2010.03.30
「名古屋凧(だこ)」をご存じだろうか。金シャチの凧でも、ドアラの凧でもない。でもとびきり華やかで、ユニークで、そして「自然の知恵」がぎっしり詰まった凧なのだ。抜けるような青空、太陽の光、風のにおい-。新春のさわやかな気候と、春待つ生き物たちのうごめきをイメージして、お読みいただきたい。
矢田川の河川敷で「古流名古屋凧」を揚げる長江さん Photo:©Taketo Sekiguchi
名古屋市の中心部にコンパスの針を立てて、名古屋港からぐるっと円を描いたように流れる川、庄内川。ちょうどその半円を引いたあたりで、矢田川という支流がわかれる。高層マンションも立ち並ぶ市街地にぽっかり広がる河川敷。その真ん中でたたずみ、空を見上げるジャンパー姿の古老の男性がいた。
手には白く長い糸。しかし、それはあまりにも高く空に吸い込まれていて、その先に何があるのかはよく見えない。糸がだんだんとたぐり寄せられる。「ブーン」というかすかな振動音が聞こえ始めた。その先に、楕円形の物体が見えてくる。左右には小さな黒い丸、赤い三角の羽。全体は白黒の縞模様に塗り分けられている。ムシ?まさか?やっぱり?いや、どう見てもムシ!
長江さんのつくった「蝉凧」。縦の長さは約1.2メートルある Photo:©Taketo Sekiguchi
まずはご覧あれ。その姿、ほほえましいほどにムシである。ふくよかで立体的な曲面。触覚や襞(ひだ)を感じさせるなまめかしいディテール。ただし、正確、精密な昆虫かと言うとそうでもない。かなり単純化されている。そこがまた面白い。これが今回の主役、名古屋凧(だこ)、正式には「古流名古屋凧」である。
「きょうは風がええからようけ揚がるわ」
凧揚げの古老、長江榮二郎さんが空を仰いだ。御年70はゆうに超えるが、張りのある声。足取りは軽く、凧糸を操る手つきは力強い。ぐいぐいと糸をたぐり寄せると、凧は途中で力尽きたようにすとんと落ちた。長江さんが歩み寄って凧を抱える。間近に見るその姿は、デカイ!
「これは"蝉(せみ)凧"のなかでも大きいもの。4尺(約1.2メートル)ちょっとはあるかな。空に揚げとると、鳥が生きもんと間違えて襲ってくるんだわ」
確かにその"セミ"は地上にあっても風が吹くたびにパタパタと動き、ブンブンとうなり続けている。まさに得体の知れぬ巨大生物のおもむきだ。
「うなり」の正体は、横方向にぴーんと張られた細いひもが風を受けて出す振動音。そのひもの両端を固定する弓のようにしなった部材は"頭部"に結びつけられていて触覚のように見える。その周りには金箔をあしらったような赤い布や細かい彫りが施された部材がきっちりと組み込まれていて、いや、実に味があるではないか。
蝉凧のディテール。弓のような部材にひもが張られ、風を切ってブーンと震動音を鳴らす Photo:©Taketo Sekiguchi
「これは凧の表裏で言えば裏。この骨組みは凧揚げたときには見えんけど、家の床の間にはこちらを見せて飾る。そんな凧はこの古流凧だけ」
床の間?はあ、確かに飾っていたら華やかに見えそうだけど...。百聞は一見にしかず。河川敷からほど近い長江さんの自宅におじゃました。
そこはもう凧の博物館。床の間はもちろん、家中の壁や欄間に凧がびっしり。しかも、さきほど見たセミもあれば「アブ」や「ハチ」などの生き物のほか、「扇」や「茶つぼ」だというものまである。同じアブ、セミでも体がまん丸だったり目が細長かったり、大きさも大小さまざま。なかには貝殻に収まる長さ16ミリの極小セミ凧まで!これはまさに職人芸、芸術だ。
「もうこの人、毎日凧のこと考えてるから。大きなこどもみたいなもんよ」
横からちゃちゃを入れるのは妻の紀久代さん。長江さんに連れ添って半世紀近く。あきれたように言いながらも、長江さんの凧づくりをずっと陰から支えてきたパートナーだ。
長江さんの自宅にある古流名古屋凧のコレクション。大きさも種類もさまざま Photo:©Taketo Sekiguchi
実は、そもそも紀久代さんのお父さん、つまり長江さんの義父が名古屋凧をつくっていた。故松田弥一郎さん。96歳で大往生するまで、名古屋凧に情熱を注ぎ続けてきた名職人だったのだ。長江さんが若いころ、義父が凧づくりをしていることは聞いていた。最初は「いい年して凧?」という程度に思っていたという。でも実際、初めて蝉凧を見せられたら、
「すげえもんでね。こりゃほかってったら(捨ててしまったら)いかん。残さなきゃと思ったの」
こうして長江さんは義父から本格的に名古屋凧を習い始める。本業の建築板金業のかたわら、時間をみつけて修行。古流凧づくりに設計図やマニュアルはない。口伝えだけれど、細かい寸法の比率や法則があり、義父は事細かに指導する。でもその通りにつくった凧も、最初はぜんぜん揚がらなかった。材料には古民家の屋根材などに使われ、囲炉裏の煙などでいぶされた200~300年以上も前の「すす竹」や古い美濃和紙を使う。
すす竹は丈夫で軽く、凧の骨組みには最適なのだが、火であぶりながら曲げても、しばらくすると微妙に戻ったりゆがんだりしてしまう。だからいったん組んだ骨組みは微調整を繰り返しながら1年半ほども"寝かす"のだという。
「竹の骨は生きもんだで、動くでね。おじいさんには『若い娘の肌のように曲げろ』とよく言われました」
それほど繊細さと根気が必要なのだ。
骨組みの継ぎ目は古民家の柱と梁のように細かいほぞを刻んで組んだり、極細の木のくぎを刺したりする。和紙の模様は表からも裏からも墨や顔料をさして鮮やかに見せるのだという。こうして実に150近くの工程を経て完成に至る。
「日本の凧の会」(東京)の福岡正巳事務局長によると、全国的にも古流名古屋凧ほど凝ったつくりの凧は珍しく、「愛好家にとっては垂涎の的」なのだという。アブやハチなどの生き物を模すのは他地域にもなくはないが、名古屋の洗練度は別格。
「海外でも日本の"Bee Kite"として通用します。ハチの"bee"とあのビービーという音からきてるんでしょうね」というからもう驚きが止まらない。しかし、なぜこれほどの手間をかけるものが名古屋で伝わってきたのだろう。
記録によると、名古屋凧の原型は江戸時代初期の寛永年間(1624~1643年)にはあり、当時は「ベカベカ」と左右に振りながら揚がる凧だった。やがて蝉凧や虻(あぶ)凧ができ、さまざまな形に発展した。正月や端午の節句に限らず年中揚げられ、矢田川の河川敷では500~600人が一斉に揚げていたというから、今では考えられない壮観だったろう。武士の遊びや自慢比べとして、けんか凧や審査会のようなイベントが盛んに行なわれていたらしい。長江さんはそうした記録や骨組みが残る民家などを訪ね歩き、それをもとに60種類以上の古流凧を復元している。その技術を長江さんは自らの手で確かめたうえで、当時の名古屋人気質をこう推測する。名古屋の武士たちは、「遊ぶときは徹底的に遊ぶ」。そして最後に手を出す「究極の遊び」が凧揚げだったのだ。そんな彼らが行き着いたのがここまでの精密さと、機能性であったというのが面白い。
それにしても、もう一つ疑問がわく。なぜセミやアブだったのだろうか。長江さんは、こう言う。「最初は真四角ぐらいの形だったんだろうが、余分なところを削っていったらだんだんああいう形になったんでないか。確かにあの形や部材の一つ一つに意味があって、余分なところがぜんぜんない」
ただし、全体の形はムシをまねているようだが、基本は「鳥」だと長江さんは指摘する。確かに羽を固定したまま、向かってくる風を受け流して自らの浮力にする原理は、鳥の滑空に近い。一方、左右の三角に丸めた羽は「柳袖」と言って、ヤナギの葉の形を参考にしているらしい。つまり、さまざまな自然の「いいとこどり」というわけだ。「江戸時代の人たちはほんとによう考えた。でも、それ以上に、神さまがつくったものってのは実にようできとる」長江さんは目を細めた。
「すす竹」の骨組みは1年半も"寝かし"ながら組み立てる Photo:©Taketo Sekiguchi
自然を模倣する技術のことを、現代用語で「バイオミメティック」という。生物(バイオ)を模倣する(ミミック)技術の総称で、「バイオミミクリー」「ネイチャーテクノロジー」などとも呼ばれる。
鳥のくちばしや魚の体型を参考にして新幹線や車のボディーをデザインしたり、ハスの葉の表面に無数の微細な突起があることをまねて「はっ水性」のある紙を開発したり、はたまたカブトムシの羽のミクロな構造を解析して、薄く軽く丈夫な素材をつくろうとする研究などがある。
人間では思いもつかない構造や未解明の原理などを自然から学ぶこと。と同時に、環境に負荷をかけないモノづくりを追究することでもある。
こうした研究は近年の環境意識の高まりとともに世界的に大きな注目を集めている。しかし、問題は「学ぶべき自然」が人間の目の前から姿を消していってしまうことだ。「ハスの葉」を研究している名古屋大学エコトピア科学研究所の高井治教授はこう言う。「生物のすぐれた機能は生物種によって違います。その多様性から学ぶ点は本当に多い。でも学ぶこと自体が難しく、"学びきれない"かもしれません。こうしているうちに一日何百種という生物が絶滅していると言われるのですから。そこを"いかに学ぶか"がわれわれの課題です」何度も試行錯誤や失敗を重ね、長江さんの名古屋凧は舞い上がるようになった。やがて「おじいさん」からも認められるようになった。
おじいさんは「禦風(ぎょふう)」という雅号を名乗っていた。「禦」は制御、つまりコントロールするという意味がある。長江さんは「楽風」という雅号を選んだ。それはこんな思いからだ。「風を制することも大事だけれど、それ以上にわしは風を楽しみたい。凧を揚げられるのは、平和な時代のあかしだでね」
長江さんによって命を吹き込まれた凧たちは、きょうも名古屋の空を楽しんでいるかもしれない。
Written by 関口威人(ジャーナリスト)