コンサベーショニスト
2010.03.15
2010年は国連が定める国際生物多様性年。10月のCOP10開催を最大の注目点としてさまざまな動きが活発になるはずだ。とはいえ開催地の愛知・名古屋でさえ、どのような会議やイベントが行なわれ、どんなことが議論されるのか、一般に浸透しているとは言いがたい。もちろん筆者もわかったようなわかってないような...いやわかってない。そこで新春。気持ちと知識をリセットして、イチから基本を確認させてもらおうと、名古屋を拠点に世界を飛び回り、生物多様性をグローバルな政治・経済を含めた幅広い観点から研究している名古屋大学エコトピア科学研究所の林希一郎教授を訪ねた。
生物多様性を幅広く研究している名古屋大学エコトピア科学研究所の林希一郎教授
photo : © Taketo Sekiguchi
もともとは温暖化も含めた環境問題に取り組まれていらしたんですね。生物多様性の分野に入るきっかけは何だったのでしょう。
「これ」というはっきりしたきっかけはなく、環境問題、特に環境政策の研究から自然に生物多様性がテーマとなりました。温暖化防止も生物多様性も「人々の生活や経済社会活動の基本要素」である点では同じように考えられます。つまりエネルギーです。温暖化ではエネルギー消費の際に大気中へ排出される二酸化炭素の量を問題とし、生物多様性は土地というストックをどのように保全し、それが提供するサービスの質をいかに確保していくのかを問題とします。特に生物多様性では自然を利用するという観点だけで考えるべきではなく、人間は自然の中に生かされていると考えることが重要です。そうして中国やインドネシアなどの途上国の開発問題に取り組みながら、生物多様性の分野に深くかかわってきました。
しかし、生物多様性は温暖化と比べるとわかりにくい、実感しにくいテーマです。
生物多様性はこの場所とあちらの場所で量も質もぜんぶ違います。二酸化炭素の場合は、地球上のどこで排出しても基本的には同じ質のもので、取り引きできますが、生物多様性は地域の固有性が高いので単純に取り引きしたり、代替したりはできません。絶滅危惧種の価値も共通の尺度はなく、一度その場で失われた自然は二度と取り戻せません。それをどこかで代替しようとするといろんな問題が出てきます。生物多様性のわかりにくさはそのあたりから来るのでしょう。
実際にはそれを共通の尺度で取り引きしようという動きが世界にはありますね。
「生物多様性オフセット」と呼ばれ、開発行為によって動植物の生息地が失われる場合、近隣の別の場所にそれらの生物がすめる自然環境を創造することで、全体の生物多様性の損失をオフセット(代償)する仕組みです。ただし、先ほど述べたように生物多様性の価値は単純に計れません。そこで生物多様性オフセットは開発の影響を回避し、最小化し、復元するというさまざまな措置を尽くしたうえで最後の手段として行なうものとされています。欧米ではすでに制度化されており、最近は先進国の企業が途上国で開発行為を行なうときの影響を、途上国のなかで代償するような国際的なルールづくりも進んでいます。
生物多様性オフセットの階層構造Figure photo : © Kiichiro Hayashi
それがCOP10で話し合われるテーマなのでしょうか。日本の取り組みは遅れていると聞きますが、欧米のように取り入れるべきだとお考えですか。
生物多様性オフセットについてはCOP10で本格的な議論には至らないでしょう。大切な課題で、決議に一部入るとは思いますが。欧米と日本では土地利用の仕方がまったく違います。日本に導入するかどうかを考える場合には、むしろ注意する必要があるでしょう。しかし世界ではすでに枠組みづくりが進んでおり、それが国際ルールになる可能性があります。生物多様性オフセットの基本的な概念の良いところ、悪いところを見極めるとともに、世界の動きに対して日本がどのように対応するかを早急に考えなくてはなりません。
COP10に向けては日本も「ポスト2010年目標」と呼ばれる政府提案をまとめていますが。
前の目標(2002年にオランダ・ハーグでのCOP6で採択された「2010年までに現在の生物多様性の損失速度を顕著に減少させる」などの目標)よりはいいと思います。数字的なものは不十分とはいえ入っていますから。しかし、その数値目標をめぐってはこれから大きな議論になるでしょう。昨年末にデンマーク・コペンハーゲンで開かれた温暖化問題のCOP15も、主に先進国と途上国の対立で紛糾しました。その影響も少なからずあると思います。
ではCOP10の焦点はどんなテーマになるのでしょう。
最も難しいのは「遺伝資源アクセスと利益配分(ABS)」の問題です。これは先進国の企業などが他国の遺伝資源を使って医薬品などを開発したとき、その利益を原産国にも還元しなければならないという仕組みです。COP6ではこの仕組みの大枠を定めたガイドラインが採択されましたが、確実な利益配分を求める途上国側はこのガイドラインに法的拘束力を持たせるべきだと主張し、過去の交渉は困難を極めてきました。今度のCOP10までに一定の結論を出すことになっています。
2009年10月にパリで開かれた生物多様性条約に関する国際専門家ワークショップ photo : © Kiichiro Hayashi
日本の企業はどのように対応すべきでしょうか。
人間が経済活動を続ける限り、必ず地球の資源を使うことになります。それを認識して、生物多様性への影響を減らすために製造方法を見直したり、生物多様性への影響がある投資行動を避けたりすることが求められます。そのときに重要なのは、われわれが生物多様性が供給する恵み、すなわち生態系サービスを自然からもらってさまざまな活動をしているということです。生物多様性が減少すれば、これらの生態系サービスも減少していきます。ここから「生態系サービスへの支払い(PES)」という概念が生まれました。中米のコスタリカでは下流部の都市住民が上流部の先住民などに水や森林を使うことの「対価」を払うような仕組みをつくっています。日本でも愛知県が最近導入した森林環境税などは類似の制度と言え、企業の中でも自主的に取り組んでいるところもありますが、本格的にはこれからです。これまで「ただ」だと思っていた生物多様性がもたらしてきた恵みは、実は「ただ」では維持できないという発想の転換が必要です。
地元の市民はCOP10に向けてどのように取り組むべきでしょう。
今は生物多様性というと「里山の保全」というイメージが強いのかもしれません。しかし、人間が生きていくためには国内外のさまざまな地域の環境に直接、間接的な負荷をかけています。自身の生活がもたらす間接的な自然への影響を今一度考えなおし、これからどのような議論ができるかを考えることが必要だと思います。
Written by 関口威人(ジャーナリスト)
林 希一郎(はやし きいちろう):
横浜市生まれ。東京大学大学院博士課程修了(国際協力学)後、三菱総合研究所を経て2006年から名古屋大学エコトピア科学研究所に所属。OECD(経済協力開発機構)生物多様性の経済的側面作業部会副議長。2010年1月に編著書『生物多様性・生態系と経済の基礎知識』(中央法規)が出版された。