琵琶湖。それは生物多様性を考えるうえで外せないスポットだ。400万年以上前から水をたたえる世界有数の古代湖に、50種以上の固有種がいまだに生命をはぐくんでいる。人間はそこから多くの恵みを受け、豊かで多様な生活を築いてきた。しかし今、母なる湖は「泣いている」。こう指摘するのは湖を知り尽くした漁師。人間活動に起因するさまざまな問題が複合的に絡み合い、水は汚れ、生物多様性は猛スピードで失われていく。琵琶湖という限られた環境のなかで、持続可能な漁、人間と自然が共生する未来はあり得るのか。その答えを「水と生きる町」から考える。
あらゆる漁法を経験
琵琶湖で60年以上、あらゆる漁法に取り組んできた福田正勝さん Photo:©Taketo Sekiguchi
名古屋から初めての"反時計回り"だった。
彦根や大津に背を向けて米原を北上、琵琶湖を左手に眺め続けながら「湖西」に入る。目的地は滋賀県高島市。6町村が2005年に合併して、名古屋市の2倍以上の面積となった大きな市だ。
気候的にはほとんど日本海。秋冬にかけて続く雨降りがちの天候は「高島しぐれ」とも呼ばれる。そんなどんよりとした空の下-。
「いやー、遠くからよう来はった!」
雨雲を吹き飛ばすような、からっとした声が響いた。高島市の「針江」という集落に住む漁師、福田正勝さんだ。
「難しいことは知らんけど、琵琶湖の魚のことだったら話せるさけ。今朝も朝の5時から網仕掛けてきた。漁にさえ行けば済むような男やし」
とにかく元気。なんと喜寿を超えるというのに、まさに「かくしゃく」そのもの。いきなりマシンガントーク全開なのである。
そんな福田さんを訪ねたのは、人口750人ほどの針江に5、6人いる漁師のなかでも大ベテランの福田さんが、琵琶湖に対する知識も思いも、人一倍あると聞いたからだ。
さまざまな魚が生息する琵琶湖には、それらを捕らえるさまざまな「漁法」がある。
例えば「えり」は矢印形に張った小型の網にアユやフナを追い込む琵琶湖の代表的な漁法。「えびたつべ」は筒状のカゴを湖底に沈め、スジエビやテナガエビなどをおびき寄せて捕るやり方。漁船に取り付けた網を引き回す「引き網」にはワカサギやイサザを狙う「沖(ちゅう)びき網」やセタシジミなどの貝を捕る「貝びき網」などがある。ほかにも「追いさで網」「沖すくい」「もんどり」...。どれも魚の習性に応じて漁具や漁船の扱いを極めた伝統漁法だ。
それらを「ぜんぶやってきた」と福田さんは自負する。そこまで言い切れる漁師はめったにいないらしい。網や仕掛けもほとんど自分で手作りしてしまうというから驚きだ。
「やらんと気が済まんし、とにかく漁が好きなんだわ」
まさに琵琶湖の多様性を体現する御仁であったのだ。
「湖が泣いている」
自ら捕った魚を漬け込んで「フナ寿司」をつくる福田さん Photo:©Taketo Sekiguchi
もともと農家に生まれた福田さんは、農作業が終われば湖に魚捕りに行った。ヨシが生い茂る湖岸に自作の「もんどり」を仕掛け、翌朝見にいくとコイやフナがあふれんばかりに入っていた。それを大八車に積んで売り歩く。面白いように売れた。
最初は小遣い稼ぎだった漁業収入が、やがて実家の農業収入を逆転。16歳のころから漁業一本で生計を立て始めた。
「琵琶湖のアユは金(きん)」と呼ばれる時代だったという。
琵琶湖中を回って、どこにどんな魚がいるかがわかるようになった。どんな場所を好むのか、どういう群れでどんな方向に移動するのか。魚によっては季節やその日の天気によっても行動を変える。まさに魚との知恵比べだ。それがまた楽しくて仕方なかった。
しかし、戦後の発展のなかで湖は徐々に変質していく。水の色はくすみ、魚の影や"におい"は消えていった。湖岸はコンクリートに変わり、ヨシ場がなくなって魚は産卵場所を失う。かわりに見慣れぬ大魚が泳ぎ回るようになった。
滋賀県の水産統計によると、昭和30年代に1万トン前後あった琵琶湖の漁獲量は、昭和50年代末にほぼ半減、平成に入ってさらに落ち込み、平成18(2006)年にはついに2000トンを割り込んでしまった。生産額はピーク時の50億円超が、いまや13億円ていど。漁業従事者数も最盛期の3分の1以下に減り、すっかり「もうからない」仕事となった琵琶湖の漁を後継する者は現れなくなった。
一方で漁船は大型化し、魚群探知機を使ってまさに魚を一網打尽にする漁が横行し始めた。
「経験があれば魚探なんていらん。機械積んだ大きな船で捕ったら、魚が絶えてしまう」
福田さんの声は沈む。
「みんなの琵琶湖が泣いてる。悲しいなあ」
コイが泳ぐ台所
針江地区の「かばた」。右手のわき水の池をコイが泳ぎ、浄化された水が左手の用水路に流れ込む Photo:©Taketo Sekiguchi
琵琶湖の環境問題は複合的だ。ブラックバスやブルーギルなど外来魚の駆除、ヨシ場や砂地の造成、稚貝の放流、乱獲の規制-。官民挙げてあの手この手の対策は試みられている。しかしどれも決定的な改善策とはなっていない。「マザーレイク」はどうなるのか-。それを考える一つのヒントが、実は針江の集落そのものにあった。
針江では20メートルほどの地下からこんこんと水がわき出る。比良山系の雪や雨水が伏流水となり、集落を通って琵琶湖に流れ込んでいるからだ。この水を人々は「生水(しょうず)」と呼んで代々大切にしてきた。
各家庭は庭先や台所の一角に小さなわき水の池をつくり、料理や洗い物に利用している。なんとそこにはコイが飼われている。台所の下を悠々と泳ぐコイは、調理で出る野菜くずや食後の鍋の残りかすなどを池のなかできれいに食い尽くしてくれる。コイが「浄化」した水は家の前の用水路や小川に入り、やがて琵琶湖へと流れていく。
「かばた」。川端の意。琵琶湖とともに生きる人々がつくり上げた、驚くべき生活の知恵なのだ。
2004年、写真家の今森光彦さんがNHKのハイビジョン番組でこの「かばた」と針江の集落を取り上げた。反響は大きく、それまで目立った観光地ではなかった針江に全国から見物人や取材者が押し寄せ始めた。しかし、もともと「かばた」は神聖でプライベートな空間。突如のぞき見され、カメラを構えられるのには集落の人にも抵抗があった。議論の末、地元の有志で「針江生水の郷委員会」という組織をつくって観光の窓口にした。かばたの造りや水の味は各戸で微妙に違うのだという。それらを見比べ、味比べするツアーは大好評で、海外からも人が訪れるようになった。
かばたは今も実際の生活で活用されている Photo:©Taketo Sekiguchi
「かばたを通じて各家庭が結ばれることで、上流の人が下流の人のことを考えて生活する。そして一緒に水をきれいにしようという責任感や信頼関係が生まれるんです」
ガイド役の福田千代子さんは誇らしげに説明した。全国の注目を集めたこともあって、これまで何気なく暮らしていた集落の人たちも、かばたの生活を見直すようになった。合成洗剤をやめ、廃食油を使った天然洗剤を勧め合う。住民総出の川の清掃や藻刈りは年4回、欠かさず行われている。
「実は針江の水もかなり汚れていた時期がある。今はずいぶんきれいになった」と振り返る漁師の福田さんの家にもやはり「かばた」はあった。
その生水も使って、福田さんは自ら捕った魚をご飯に漬け込み、自分の手でさばいて売り出してもいる。琵琶湖名物のフナ寿司。「一つどうや」とすすめられていただいた。くせがなく、むしろさわやかな甘みが口に広がる。絶品であった。
もう一切れ、とほおばる筆者らを満足そうに見つめて、福田さんは言った。
「本当の漁師はお金なんていらん。魚が捕れればいい。琵琶湖には、まだわしの見たことのない魚がおるかもしれへん。そう、まだまだお宝があるはずやで」-。