SATOYAMA

里山から川へ、いのちとくらし守る「粗朶(そだ)」

2009.12.04

里山、いや「SATOYAMA」は来年の生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)の大きなテーマだ。手つかずの自然でなく、人の手が適度に入った日本ながらの環境がグローバルな視点から見直される。一方で、その議論の場となる名古屋でも今まさに消滅の危機に瀕している里山がある。その意味をどう考えればいいだろうか。一つのキーワードがある。「粗朶(そだ)」。筆者を含め、若い人にとってはほとんどなじみがない言葉だろう。しかしそこには、山と川との深いつながり、人の命や暮らしにもかかわる重い課題が含まれいるのだ。

「雑木」ザックリ束ねる

岐阜県本巣市の里山で雑木林を刈り取って「粗朶(そだ)」をつくる瀬尾博之さん

岐阜県本巣市の里山で雑木林を刈り取って「粗朶(そだ)」をつくる瀬尾博之さん Photo:©Taketo Sekiguchi

薄暗いヒノキの植樹林を抜けると、目の前がぱっと明るく開けた。木はもちろん下草もきれいに刈り取られ、切り株がところどころに顔を出している。直径の小ささからみると、まだ若い低木のようだ。

ザックザック。

そんな山の斜面の途中で、岐阜県本巣市の農業、瀬尾博之さんは枝打ちの作業に励んでいた。御年71になるというが、身のこなしは軽い。肌にもまだツヤがある! この辺り一帯に田畑と山を持ち、農閑期の今は毎日のように山林の手入れをしているのだという。

「じっとしてるの嫌いな性分やで。うちでぶらぶらしてても、なんもやらんし」

からからと笑いながら、瀬尾さんは小さな斧(おの)を手に作業を続けた。細い枝をザックリと整えて、ちょっとした作業台にガサっと下ろす。ザザッとまとめる。ナイロンのひもでギュッと縛る。

これが「粗朶(そだ)」である。

瀬尾さんが束ねた粗朶

瀬尾さんが束ねた粗朶。長さは2メートルほどある Photo:©Taketo Sekiguchi

失礼ながら、実際に出来上がるそれはかなり大ざっぱ。直径はおおよそ60センチが基準だというが、厳密には決まっていない。重さは10キロていど。長さはこの時点ではそれこそマチマチ。2~3メートルほどで、先端が何となくすぼまっていればいいのだという。

「コツも何もあらせんよ。名前が名前だし、"粗末"にやってりゃいいのさ」

そうはいっても、これを春までに1人で3000から5000束つくり出す。こうした仕事をもう50年近く、ほぼ毎年続けてきたというから頭が下がる。

粗朶はいわゆる雑木を寄せ集めた束。使うのはスギやヒノキなどの針葉樹ではなく、サクラやクリ、ナラなどの広葉樹だ。冬に刈り取れば春には新芽が芽吹き、10年前後で再び伐採できるまでに成長する。林業というと50年や100年の大木を管理するイメージを持ってしまうが、粗朶の場合はもっとサイクルが短く、必要とされる技能や作業量も比較的少ない。「おじいさんは山に柴刈りに...」とはこの粗朶づくりのこと。昔話の時代からうたわれるのは、もっぱら薪(まき)などの燃料として利用されていたからだ。

だが明治期、そこに一つの「イノベーション」が起こる。

砂防の父」が伝えた工法

粗朶を使った河川工法を守る

粗朶を使った河川工法を守る井納木材の井納英昭社長 Photo:©Taketo Sekiguchi

オランダ人土木技師、ヨハネス・デ・レーケ(1842-1913年)。明治政府に招かれたお雇い外国人の一人だ。日本全国で河川改修や治水工事を手掛け、「砂防の父」とも言われる。中部地方でも木曽三川の分流工事などの大きな業績を残し、記念碑や銅像も建てられている。
そんなデ・レーケがオランダから伝えたとされるのが「粗朶沈床(ちんしょう)工」。粗朶を使った河川の治水工法なのだ。

「粗朶を河川の工作物に用いたという歴史は万葉集にも見ることはできます。ただ河川工法として確立されたのはデ・レーケ以降。本当にこれ以上はないと思えるよくできた工法なんです」

瀬尾さんの隣で話を継ぐのは、同市に本社を構える「井納木材」の井納英昭社長。粗朶沈床工を手掛ける全国でも数少ない会社の経営を1年前、若干30代で任された若手社長だ。

同社は瀬尾さんら地元の農家や山林所有者から粗朶を買い取り、河川の工事現場へ提供。自ら施工も担う。
職人でもある従業員たちは粗朶を一束一束並べ、大きな格子をつくっていく。続いて川の流れに対して直角に粗朶を敷き詰めていったら、今度は90度向きを変えて敷き詰める。これを3層分ほど繰り返し、杭を打ったり、石を敷き詰めていったりして河床に固定させていくのが主な手順だ。山での粗朶づくりと対照的に、ここは重機も使う大がかりな作業。枝を折らず針金のように自在に、がっちり編み込んでいく作業は熟練の技術と経験が必要とされる。

若木を使った粗朶は柔軟で粘りが強いため、どんな地形にもしっかりとなじみ、河床の浸食や崩壊を防ぐ。木材だが水中で酸素に触れないため、逆に腐りにくく時間がたつにつれて安定する。河川工事の基礎として洪水時を含めた川の流れをコントロールする防災機能が大きな役目。完成後は原則、水面下に沈むから、一般の目には触れない。まさに「縁の下」で力を発揮する存在なのだ。

粗朶沈床工の施工の様子。粗朶の束を縦横何層にも敷き詰めていく

粗朶沈床工の施工の様子。粗朶の束を縦横何層にも敷き詰めていく Photo:©Ino mokuzai Inc

そしてもう一つ。粗朶のすき間は魚や水生生物の格好の生息空間だ。つまり河川の生物多様性を増すことにも貢献する。

「ある河川では粗朶沈床を設置した後、ウナギがたくさんとれるようになったと聞かされました」と井納社長は胸を張った。

1948(昭和23)年創業の同社が粗朶を扱い始めたのは昭和20年代後半。もともと森林と川の多い岐阜県では粗朶をはじめ木材を用いた伝統的な河川工法が多く発展していた。同業者は地域内だけでも3社はあったという。
1959(昭和34)年の伊勢湾台風では、木曽三川の決壊した堤防の復旧工事に何万束という粗朶が使われた。その後も同社は琵琶湖の干拓地造成工事などの大規模事業を受注し、粗朶を安定的に利用してきた。「環境破壊」として反対運動が渦巻いた記憶も新しい長良川河口堰(ぜき)の現場の一部にも同社の粗朶沈床工は採り入れられている。

荒廃食い止める手立ては

しかし、気がつけば日本中の河川はコンクリートの護岸に取って代わった。同業者は全国でも新潟などにある数社に。ピーク時には年間30万束を扱っていた同社の粗朶も、ここ数年は3万束程度に落ち込んでいる。

里山の消失、荒廃も著しい。かつて300人はいた粗朶の生産者は冒頭の瀬尾さんをはじめ30人ほどに減った。高齢化が進み、需要がなくなっていったん作業のない年があるとそのまま引退してしまう。雑木林も手入れせず放置してしまうと木は粘りをなくし、粗朶として使えなくなる。人も自然も、持続的な循環が途絶えようとしている。

「伝統工法はどこかで切れたら終わり。誰かが守らないといけない。私たちも何とか需要を確保しようとしているけれど、一企業では限界がある」。井納社長は悲鳴にも似た訴えの声をあげる。

1997年、国は河川法を改正し、河川管理の目的として治水、利水のほかに「環境保全」を位置付け、コンクリートだけでなく「多自然型の川づくり」を進める方針を示した。粗朶沈床工などの伝統工法も最大限採用しているというが、現場の衰退を食い止めるにはまだほど遠いのが実情だ。

水面下に沈んだ粗朶のすき間にすみつく魚の群れ

水面下に沈んだ粗朶のすき間にすみつく魚の群れ Photo:©Ino mokuzai Inc

一方で新たな動きもある。岐阜県立森林文化アカデミー(岐阜県美濃市)では里山研究の一環として粗朶に注目。今年は同県大垣市上石津町の里山をモデル林に、地域の人たちと粗朶づくりの研修も行った。
担当の柳沢直准教授は「里山で新しい生産の場をつくると同時に、川の下流域でも粗朶を利用する取り組みを増やさなくてはならない。行政は多自然工法にもっと力を入れ、地域では小さな用水路を粗朶に変えていくなどの工夫が必要だ」としたうえで、こう提言する。 「粗朶は決して単価が高いものではないが、コンクリートなどに比べて経済的な指標や効果などはまだ訴えにくい。生物多様性の指標など、それこそCOP10開催を契機に考えてもらいたい」

雑木林の減っていく山を歩きながら、瀬尾さんは足元の異変を感じ取っている。

「針葉樹ばかりでは根が張らず、雨ですぐ地盤がずれる。雑木なら丈夫いはずなのに」

この異変はやがて川を伝い、下流の生活者を直撃することになるのだろうか。今が手遅れでないことを祈りたい。

Written by 関口威人(ジャーナリスト)

中日環境net