食と生物多様性
2009.10.06
前回に引き続きテーマは「農」。ただし食用菊という「マイナー作物」から一転、今回は"超メジャー級"に目を向けたい。ニッポンの農業の代名詞、米づくり、稲作である。緑の田園、黄金色の稲穂は日本人の心の原風景。しかしその裏では食糧自給率の低下や担い手不足、減反や農地転用などの問題が山積していることをわれわれは知っている。政権交代。待ったなしの農業政策の議論は国会をにぎやかにさせることだろう。対照的に、地方の水田地帯は静けさを増している。ゲロゲロ、グワッグワッ。そう、あんな身近な生き物の声さえ、消えつつあるというのだ...。
西日本の水田に生息し、絶滅の危機に瀕するナゴヤダルマガエル Photo:©Taketo Sekiguchi
愛西(あいさい)市。その名の通り、愛知県の西を固める佐屋町、立田村、八開村、佐織町の4町村が2005年に合併して生まれたまち。岐阜、三重との県境を木曽川が悠々と流れ、市域の半分は田畑。名古屋通勤圏で宅地化が進むものの、米やレンコンなどの農業生産は今も盛んだ。
そんな田園地帯の一画で、虫取り網を手に作業着姿で歩き回る大人たちがいる。田んぼ荒らしか、はたまた昆虫マニアか、と思えばそうではない。
「田んぼの生き物調査をしています」
きっぱりと説明するのは愛知県農業総合試験場(愛知県長久手町)の田中雄一さんと瀧勝俊さん。田中さんは稲の品種改良などに取り組む「作物グループ」の、瀧さんは農地の水質や土壌汚染などに目を光らせる「環境安全グループ」の主任研究員。2人はこの春から県内45カ所の水田をこまめに訪れ、生息する生き物の種類や数をつぶさに記録している。
目的は「生物多様性の指標となる生物の選定」だ。
来年の生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)開催地のおひざ元にある同試験場は、5年ほど前から生物多様性に注目。農業の生産性を維持しながら生態系の再生を図ろうと、水田に魚が遡上しやすくなる隔壁付きの魚道などの開発を進めてきた。
今回はよりソフト面の研究。ある生物の有無や個体数を基準にして、環境全体の生物多様性を評価する。そのための「指標生物」を選びだそうというプロジェクトだ。
とかく「わかりにくい」「実感しにくい」と言われる生物多様性を定量化すれば、「生物多様性の豊かな田」でつくった米をブランド化して売り出すこともできる。
さらに農業分野を超えて、生物多様性の観点から環境を取引する「生物多様性(生態系)オフセット」や「ノーネットロス」などの考え方にも結びつく。これは里山の開発計画などに対し、周辺の別の環境を保全したり、自然を増やしたりすることで地域全体の損失(ロス)をなくす手法。まだ日本では制度化されていないが、COP10とも絡めて具体的な議論が始まろうとしているところだ。
「そういうことも頭には入れています。ただ調査はまだ始めたばかり。まだ『これ』というのはないのですが、今のところ目を付けているのが...。あ、いました」
田中さんがそう言って大事そうに手で包んで見せた、一匹のカエル。
「ナゴヤダルマガエルです」
今回の主役である。
名前が名前だけにローカルな種かと思いきや、東海から近畿、中国、四国まで、西日本の広域に生息する。なんとダルマガエルは「トウキョウ」と「ナゴヤ」が二大亜種。天下分け目の西軍の将なのである。ちなみに見た目はトノサマガエルにそっくり。見分けるコツは体がややずんぐりしていて、「トノサマ」より背中の斑点がくっきりまだら模様になっているかどうかだという。
このナゴヤダルマガエルが近年、急速にその姿を消している。原因は主な生息環境である水田の減少とされる。環境省のレッドデータブックではダルマガエルとして絶滅危惧種に指定。愛知県も今年公表した「レッドデータブックあいち2009」で準絶滅危惧種から絶滅危惧種へと分類を引き上げた。
「今回の調査でもナゴヤダルマガエルの見つかる水田は限られています。カエルは食物連鎖の"要"。さらに調査を進めて、このカエルがいれば生物多様性がこれだけ豊かだと言えるような成果を示せれば」と、田中さんは表情を引き締めた。
有機農法の田で収穫間近の稲の状態を見る杉村義仁さん Photo:©Taketo Sekiguchi
「言われてみれば、カエルも昔より減ってきたなあ」
こう振り返るのは愛西市の稲作農家、杉村義仁さん(57)。田中さんたちの調査に協力している農家の1人。口ひげと人なつこい笑顔がトレードマークで、2006年には国の表彰も受けた、知る人ぞ知る優良生産者である。
田のあぜ道をカエルがびっしりと埋め尽くし、夜はゲロゲロの大合唱がどんな音よりも鳴り響いていた。
杉村さんがトマトやイチゴを生産する施設農家から稲作農家に転向したのはそんな時代。20年ほど前のことだ。
車などの機械いじりが好きで、ハウスのなかで野菜を育てるより、屋外でトラクターを乗り回しているほうが性に合っていた。
「コメは100%機械でできる農業」が持論だった。
しかしちょうど10年前、「半分趣味の世界で」始めた無農薬の有機農法との格闘で、考えは変わっていく。
雑草だらけの田から始まった。農薬をまかないと、これほど稲以外の草が生い茂るのかと驚いた。とにかく手作業で雑草を抜くが、端から端まで抜き終わったら、始めたところからもう新しい草が生えている。
周りの農家から笑われながらも、意地になってひたすら草を抜いた。肥料のやり方、水の入れ方、抜き方。さまざまに試してみたが、雑草ばかりに栄養が取られ、稲がしっかり育たない。
でも、そうしてじっくりと稲に向き合い、気づいた。
「稲の一生も人間の一生も一緒。最初からいい環境では育たん」
耕起前に肥料を入れるのをやめたら、逆に苗が丈夫に育ち始めた。堆肥化した籾殻(もみがら)を肥料に使う「籾殻堆肥」の効果も3年目にしてようやく出てきた。地力が安定するにはそれだけの時間がいる。自然のリズムに合わせて粘り強く育て続けたら、ついに5年目から有機米として本格的に出荷できるまでになった。
「農業は作物の生命をいかに補助して、生かしてやれるか。自分たちは自然に『付き合わせてもらってる』。有機農法を始めて、こんな言葉が身にしみてわかった」
しみじみと田んぼを見渡す杉村さん。収穫直前の稲の根元には、「コナギ」などの雑草がところどころ生い茂っている。
「かっこは悪いけど、これが無農薬の"証し"よ」
杉村さんの田。雑草のコナギが稲の根元に繁茂する Photo:©Taketo Sekiguchi
農業は確かに人間の営みである。しかし、それは自然のなかにこつ然と人工環境を作り出すことではない。
農業環境技術研究所名誉研究員の守山弘氏によれば、稲作とは「人間が洪水の肩代わりをしている」状態だという。
日本の河川は急峻で、洪水を起こしやすい。だがそれによって下流に土砂が運ばれ、堤防や湿地がつくられ、多様な生態系がはぐくまれる。生物多様性にとっては洪水のように「攪乱(かくらん)」される環境はむしろ好ましい。稲作は耕起や田植えによって洪水並みの攪乱状態をつくり出す。そして人間はもともとの生態系を守り、作物から栄養分を得ながら、災いをもたらす洪水をコントロールしてきたのだ。
一方、生物も人間のつくる水田環境や農作業のリズムにうまく溶け込む。くだんのダルマガエルは田植え直後の水田に産卵し、稲刈りが始まる前にはオタマジャクシからカエルとなって陸にあがってしまう。逆に田植えの前に繁殖を済ませてしまうカエルや昆虫類もいて、農事カレンダーに合わせた見事な「すみわけ」ができているのだと、同じく守山氏は指摘する。(『水田を守るとはどういうことか』1997年、農山漁村文化協会)
水田を通じて、人間と自然は共生を続けてきた。
土との対話。作物との対話。
杉村さんは自らの農業をこう表現する。宗教的にも聞こえるが、機械を使っていても常に土や作物の状態を体で感じ、柔軟に対応せよという、むしろ即物的な教えである。
今度は、ナゴヤダルマガエルなどの生き物とも積極的に「対話」して、さらに理想の米づくりを追求することになりそうだ。
彼らは何を教えてくれるだろうか。
Written by 関口威人(ジャーナリスト)