食と生物多様性

「生物農薬」に生き残り賭ける"マイナー作物"食用菊

2009.09.08

生物多様性って何かを突き詰めると、工業よりもむしろ農業、農林水産業の問題だということがわかってくる。この連載はモノづくりがテーマだが、究極のモノづくりも、突き詰めれば農業のことかもしれない。

多様で雑多な人間活動を支えている「農」もまた多種多様。人間は古来から実に多品種の作物を育て、食してきた。例えば「食用菊」。刺身の皿の隅っこに、つつましやかに添えられている、あの菊の花だ。その生産で全国的なシェアを誇るのは愛知県。ただ、年間生産量が3万トンに満たないそれは"マイナー作物"などという、あまりありがたくなさそうな称号も与えられている。そして今、現場は危機に立たされているのだという。法改正による規制強化の影響で、従来の農薬が使えなくなったからだ。そこで見直されているのが他ならぬ生物のチカラ。キーワードは「生物農薬」だ。

ハウスで通年栽培

愛知・蒲郡の特産品としてハウス栽培される食用菊

愛知・蒲郡の特産品としてハウス栽培される食用菊 Photo:©Taketo Sekiguchi

名古屋から東南へ約50キロ。三河湾を望む愛知県蒲郡市。
海水浴客でにぎわう海岸に背を向けると、なだらかな山のふもとが広がる。その一角に立ち並ぶビニールハウスの一つに足を踏み入れると、満天の星のように鮮やかな無数の黄色が目に飛び込んできた。一斉に花を咲かせた食用菊だ。

「食べてもええよ。そのまま口に入れたら苦いけど。ちょっと醤油につければうまいよ」

誇らしげな笑みを浮かべるのは神田成臣さん(50)。食用菊を中心に生産する、地元でも数少ない専業農家だ。

その名の通り食用に栽培される食用菊は、東北ではおひたしや天ぷらなどの調理用として流通するが、花を生のまま刺身などに添える「つま菊」はほとんどが愛知県内から出荷されている。歴史は意外に浅く、蒲郡では1950年ごろから本格的な生産が始まり、ハウス栽培の確立によって発展。現在は神田さんら50人の農家が「三河温室園芸組合」をつくり、一年を通じた生産に取り組んでいる。

食用菊の成長は早く、苗を定植してからわずか3カ月後が収穫の時期。だから黄色の花が咲きそろうハウスの隣には、苗だけのハウス、つぼみだけのハウスが並び、次の開花へ向けて手入れがされる。青々とした葉は一見、どれも順調に育っていそうだが-。

「裏を見て。真っ白でしょう」

神田さんが一枚の葉を裏返した。確かに全体が白っぽく、よく見ると表面には細かい斑点がびっしり。

「ハダニに食べられると、こうなるんだわ」。いかにも苦々しそうに、神田さんは言った。

食用菊の主な害虫は「ナミハダニ」や「カンザワハダニ」などのハダニ類。これらに汁を吸われた植物は葉緑素が抜け、白くなって枯れてしまう。厄介者ではあるが、植物の害虫としては一般的なので、農薬を使って簡単に駆除できるはずだ。

法改正で「選択肢ない」

ハダニを捕食するミヤコカブリダニ

ハダニ(右)を捕食するミヤコカブリダニ Photo:©Aichi Agricultural Reseach Center

ところがここ数年、神田さんたちは"お手上げ"状態になっている。2002(平成14)年の農薬取締法改正で、これまでの農薬が使えなくなってしまったからだ。
農薬の登録制度を厳格化したこの法改正は、そもそも安全性に問題のある無登録農薬を規制するのが目的だった。しかし食用菊などの「マイナー作物」の農家には別の問題が生じた。一般的な農薬が対象とするのは「メジャー」な作物ばかり。「マイナー」でも使えるようにするには各種の試験データを添えて国に登録する必要がある。しかし、その手間やコストに対して採算が合わないと考える農薬メーカーは、新たな登録に消極的。つまりマイナー作物は見捨てられてしまっているわけだ。

国は法施行後の約2年間を経過措置期間とし、農家もその間あの手この手の対応を講じた。しかし、らちは明かなかった。わずかに使える農薬でしのいでみるが、害虫も年々薬剤への抵抗性をつけてくる。何とかならんのか-。

わらをもつかむ気持ちで神田さんらが行き着いたのが、天敵生物で害虫を駆除しようとする「生物農薬」だったのだ。

「一般の消費者からすれば農家が無農薬を"売り"にしていると見えるかもしれない。でも、ちょっと違う。われわれにはこういう選択肢しかなかったんです」

カブリダニをボトルに収めた「生物農薬」を開花前の食用菊にふりかける

カブリダニをボトルに収めた「生物農薬」を開花前の食用菊にふりかける Photo:©Taketo Sekiguchi

そう言って神田さんが手にしたのは白いプラスチックのボトル。この250ミリリットルの容器に、約5千匹の「天敵」が入っているのだという。中をのぞくと、見た目は薄茶色の粉薬のよう。それを葉にパッパッと、まるでふりかけのようにかけていく。作業はこれだけ。

ハダニの天敵は「ミヤコカブリダニ」や「チリカブリダニ」。ダニの敵がダニとは奇妙な気もするが、カブリダニはいわば肉食で、草食のハダニを捕らえて食べてしまう。人体や周りの環境には影響がないとされる。

初めは神田さんが個人で試していたカブリダニの利用は、2007年度から愛知県農業総合試験場の研究事業となった。08年の試験では、天敵のカブリダニを放してしばらくは、害虫のハダニは減るどころか逆に増えていった。ところが1カ月半後、ハダニの数がピークを迎えた直後にカブリダニも急増。ハダニは一気に捕食されて1週間後には10分の1近くに激減、2週間後にはついにゼロになった。その後「えさ」のなくなったカブリダニ自体も急激に数を減らし、最後には何も残らなくなった。そして食用菊は健康な花を咲かせた。

 

劇的な効果だった。神田さんにとっても試験場の研究員にとっても予想以上だったという。

だが課題も見えた。ハダニが急増するタイミングで、農家は化学農薬を使いたくなってしまう。そのままハダニに支配されたら作物は全滅だ。そこをぐっと我慢できるか。天敵を入れるタイミング、害虫のピークの見極め。

「かなり経験はいる。それに害虫はハダニだけじゃない。まだまだ先は長いよ」。神田さんは表情を引き締めた。

古くて新しい技術

生物農薬は、「古くて新しい」技術だと言われる。

『バイオロジカル・コントロール-害虫管理と天敵の生物学』(朝倉書店、2009年)によると、その発想自体はかなり昔からあり、古代中国でカンキツ園に捕食性のアリを放して害虫を駆除した記録が残っているという。

19世紀には海外から新しい天敵を導入して定着させる実験や研究が盛んになり、1930年代までは一定の成功が収められていた。その後、DDTなどの有機合成殺虫剤が開発されると、その効果が極めて高かったため、生物農薬の研究は下火になった。しかし、化学農薬の弊害が明らかになり、環境意識が高まるとともに研究は再び脚光を浴び、実用化も始まった。

日本でも少なからぬ研究は行われており、1995年にチリカブリダニとオンシツツヤコバチが国に「農薬登録」されると一気に注目を集め、06年までに16種類の昆虫類が農薬として登録された。
しかし、同書の編著者の一人で害虫制御学を専門とする名古屋大学大学院生命農学研究科の田中利治教授によると、コストや効果の安定性の面で、まだまだ課題は多いという。「すべてを生物で制御するのは厳しい。天敵に影響のない化学農薬との併用などが現実的だろう」とする。

一方で、生物農薬はこれまでの農薬や農業の考え方を変える可能性も秘めていると、田中教授は指摘する。

「これまでの農薬は、とにかく虫を"皆殺し"にするものだった。害虫は悪者で徹底的に駆除するべきだと、薬品の投与量がエスカレートしてきた。でも、これからは天敵生物への影響もきちんと考えないといけない。生物はお互い生かさず殺さずという絶妙なバランスを取っている。害虫だからといって全滅させたらバランスが崩れて人間にもしっぺ返しがくる。生物多様性が必要なゆえんです」

生物農薬も使って食用菊を生産する若手農家の吉見さん

生物農薬も使って食用菊を生産する若手農家の吉見さん Photo:©Taketo Sekiguchi

蒲郡での実証は3年目に入り、神田さん以外にも5人ほどの食用菊農家が加わった。そのうちの一人は若手農家の吉見直哉さん(29)だ。

「最初はこんなので大丈夫かと思ったけど、効果は予想以上。天敵たちには『働いてくれよー』と呼び掛けてます」と笑う。

食用菊以外にもマイクロトマトなどの「マイナーもの」にこだわる。それゆえの苦労も多いが、特産品を守っているという誇り、そして収穫したときの喜びは大きいという。

「スーパーで自分の野菜を見つけると、やっぱりうれしい。マイナーが、ちょっとずつメジャーになっていくと思えるのが、面白いですよ」

Written by 関口威人(ジャーナリスト)

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