保全の現場から
2009.05.07
ササに覆われた浅い流れに産卵床を掘り、ペアが寄り添って産卵・放精の「その瞬間」を待つ Photo:©Maki Yamamoto
雪解けが進む川の上流部、深いササ藪の中を蛇行して流れる小さな沢がイトウのふるさとだ。早春、紅色からオレンジの鮮やかな婚姻色に身を包んだ雄と、地味な色調の雌がペアとなり、背びれが見えるほどの浅瀬に産卵床を掘って、産卵・放精の「その時」を待つ。孵化した稚魚は中流域で育ち、やがて海に下って大きく育つ。
最上流部の沢から中流の深み、そして河口の汽水域から海へと、イトウは川のすべてを行き来して生活圏としている。森、川、海と全部がつながり、健全な自然が残されていないと生きられない。日本で最も大きくなる淡水魚というだけではなく、原生的な自然環境の大事な生き証人でもある。
イトウはサケ科イトウ属。かつては北海道全域から東北地方に分布していたが、今では道東・道北を中心に10数水系にしかいない。それも数百匹単位で数が安定しているところが2水系で、残りは数匹、数十匹と推定される親魚しかいない川もある。
平たい頭に大きな口で、昆虫、魚、小動物と何でも食べる。一生に一回だけ降海・遡上するシロザケなどと違い、寿命10数年と長命で、何度も遡上し、繁殖行動をする。海での生態はよく分かっていないが、母川からあまり離れない沿岸で餌を探し、成長するらしい。サケ科の中では古い形態とされ、川と海を何度も行き来する生活史は、川の魚から降海習性を獲得した昔のサケ類の行動様式を残しているのかもしれない。
雪解けの4月末から5月、親イトウは上流部の繁殖場所を目指す。鮮やかな紅の婚姻色に染まった雄が、身をくねらせて段差を越してゆく Photo:©Maki Yamamoto
イトウには「幻の」という形容詞がつく。実はつい2,30年ほど前までは、「いるところにはいる」魚だった。歩きにくい湿原や広漠とした原野、深い森林に阻まれて、釣り人にとっては遠いあこがれの存在だった。「ヒグマがいたから、イトウが守られた」という人もいる。全長2メートル以上の記録が残り、メーターオーバー(1メートル超)の大物は今も時折見かける。開拓地の人々は、春一番に遡上してくるイトウを、貴重なタンパク源としたこともあったという。
急速に各水系の個体群が絶滅し、生息数が減ったのは、農地造成と森林開発の影響が大きい。川のすべてを利用する魚だけに、水系の変貌には弱い。明治期から開発が進んだ道南、道央では、尻別川を除き早々と姿を消した。道東では酪農・畑作の大規模化とともに、中上流域の農地造成で土砂が流れ込み、産卵場所や越冬地が失われた。森林伐採も、冬の作業から夏に大型機械を使うように変わり、浸食された土壌が産卵場所を埋め、卵や稚魚を窒息死させた。川環境を単純化する河川改修は稚魚の隠れ家や越冬地をつぶし、下流のショートカットや河口の付け替え工事も、海との結びつきを絶った。
猿払水系の河口近く、日暮にイトウを待つ釣り人。キャッチ&リリースの自主ルールはかなり浸透している。海水と淡水が混じり、河口湖もある多様な環境がイトウには必要だ Photo:©Maki Yamamoto
IUCN(国際自然保護連合)のレッドリストでは絶滅危惧ⅠA(CR)。環境省の国内レッドリストではⅠB。これだけの希少種でありながら、実は法的保護は全くない。漁業資源として保護されている多くのサケ類と異なり、局地的な内水面漁業権以外には、捕獲や環境破壊を規制するルールはない。
わずかに今年(2009年)3月、空知川上流の南富良野町で、イトウ保護条例が制定され、生物多様性保全の観点からの保護区設定やモニタリングが始まった。しかし、漁業法などとの関係で当初予定していた「罰則付きの採捕禁止」は盛り込めず、産卵期・冬期の「捕獲自粛」へと後退する内容となった。それ以外の地域でも多くの釣り人がリリースに協力しているが、中には剥製販売や食用目的での捕獲も続いているという。また、イトウは強い母川回帰性から、個体群ごとの遺伝子変異が大きいと考えられているが、「環境復元」という名の無秩序な放流も行われている。
北海道内では10地域のイトウ保護団体などが「イトウ保護連絡協議会」を結成し、行政への働きかけや情報交換、普及活動を進めている。道北の猿払村では、積極的なイトウ観察と情報提供から、河口部での釣りを維持しながら、繁殖地での捕獲を減らし、村のシンボルとすることに成功しつつある。天然繁殖が壊滅した尻別川では、民間団体が人工増殖を試みている。それらから浮かび上がるのは、水系ごとに自然環境も人との関わりも異なり、危機に瀕しながらも、多様な環境に生きるイトウの姿だ。「幻の大魚」を本当に幻としないために、多くの努力が続けられている。
Written by Maki Yamamoto